古/いにしえの面影       其の一阡四百七拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2019年03月30日 木曜日
アップ日  2020年05月22日 金曜日
三重県伊賀市丸柱(長谷製陶登窯)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

伊賀焼(いがやき)は、三重県伊賀市にて焼かれている陶器。
中世から始まったといわれる日本有数の古陶である。
始まった頃は水瓶や種壺、擂り鉢などの日用雑器が焼かれていたが、
陶土産地が山一つ隔てた信楽と同じ古琵琶湖層由来だったため、
信楽焼とほとんど区別がつかなかった。
しかし桃山時代の天正年間後期に入ると、伊賀領主となった筒井定次が、
阿山の槙山窯にて茶の湯に用いるための茶壺、茶入、花入、水指などを
焼き始めた(筒井伊賀)。
これらにはビードロ釉(ゆう)と呼ばれる緑色の自然釉が見られる。
焼き締まった赤褐色の土肌に吹き出た無数の長石粒と折り重なり、
質朴でありながら風流な焼き物となった。
その後は小堀遠州によって「遠州伊賀」と呼ばれる伊賀焼が焼かれた。
これは前者の「筒井伊賀」とは対照的に瀟洒な茶器である。
その後は藤堂高次による「藤堂伊賀」も発生したが、これはすぐに衰退している。
その後興廃を繰り返すが、江戸中期には京都や瀬戸の陶工を招き、
施釉陶の技術がもたらされた。
これらの時期を「再興伊賀」と呼ぶ。そして「再興伊賀」以降は
茶陶はほとんど焼かれなくなる一方、土鍋や行平、土瓶などの日用食器が中心となっている。
1982年11月には国から伝統的工芸品の指定を受けている。
(Wikipediaより)

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絵に成る場所です。

※飾り瓦


此処も絵に成ります。



茅葺屋根



作業場でしょうか?

※陶柱

展示品でしょうか?

※大きなものも~

前には~
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「登り窯」は天保三年(1832年)の創業時から昭和40年代(1970年代)まで
稼動していたもので、かつてはこの16の部屋(窯)を焚き上げるには
15〜20日間を要していました。
この大きさ(16連房)の窯で、現存している登り窯は
日本ではこれだけだといわれています。
(長谷製陶株式会社HPより)


※上部から~
これからも残してほしいですね。

穴窯ですかね。

※多くの薪が~

現役の様です。

登窯の裏山は
見晴らし台として整備されています。

※桜の季節

登窯を一目で~

※陶の里も一望です。

馬酔木の花

※散策路として
整備されています。

山は、まだ眠っています~



レンガ煙突


 
旧の事務所
大正館だそうです。

※お邪魔します~

「大正館」は大正時代に建てられ、10年前までは実際に事務所として
使われていました。
電話も金庫もそのままに、大正ロマンの面影をたっぷりと残しています。
現在はゆったりとこの空間を堪能していただける休憩コーナーとして
開放しています(伊賀焼カップ付コーヒー有)。
(長谷製陶株式会社HPより)


※ほっと一息~
皮張りの椅子にて珈琲で一休み。

呼び出し電話
前には

※陶製
招き猫

絵に成る場所ですね。
Kさんも描かれているはず。

※電話


カンカンですね。

※金庫

お洒落な電灯が~



陶製のスピーカー
欲しいですね。

※飾り瓦


飾り瓦
戎様

土鍋も~

※大きな水差し

「主屋(母や)」「別荘」は代々長谷家の住居で、
2001年まで現窯元が実際に暮らしていました。
いずれも明治・大正期の窯元の様子をよく
伝えているとの評価をいただきました。
(長谷製陶株式会社HPより)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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