古/いにしえの面影       其の一阡四百拾二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年04月26日 水曜日
アップ日  2019年04月03日 水曜日
奈良県奈良市三条本町~元林院町
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ季節に誘われて~
奈良駅(ならえき)は、奈良県奈良市三条本町にある、
西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
1890年(明治23年)12月27日 - 大阪鉄道 (初代) 王寺駅 - 当駅間の開通時に、
    同線の駅(一般駅)として開業。
1896年(明治29年)4月18日 - 奈良鉄道 木津駅 - 当駅間の開通時に、同線の駅が開業。
1899年(明治32年)10月14日 - 奈良鉄道線が京終駅まで開通。
5月21日 - 関西鉄道 大仏駅 - 当駅間の開通時に、同線の駅が開業。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道が関西鉄道に合併。
1905年(明治38年)2月7日 - 奈良鉄道が関西鉄道に合併。
    これを以って関西鉄道の単独駅となる。
1907年(明治40年)8月21日 - 関西鉄道線 加茂駅 - 大仏駅 - 当駅間が廃止。
10月1日 - 関西鉄道が国有化され、国有鉄道の駅になる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1934年(昭和9年) - 寺院風の駅舎が完成。
1945年(昭和20年)7月22日 - 空襲による被害を受ける。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

2003年(平成15年)9月6日まで使われていた2代目駅舎は
1934年(昭和9年)に完成したもので、周囲の景観に配慮して
方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。
大阪鉄道局建築課が京都帝室美術館懸賞設計に応募し
落選した設計案を再利用したものだった。
高架化に伴い取り壊される予定であったが、
その歴史的価値から反対の声は根強かったこともあり、
曳家によって元の位置から18m移動された上で保存され、
奈良市総合観光案内所として利用されている。
この旧駅舎は、2007年に近代化産業遺産、
2011年に土木学会選奨土木遺産となっている。
(Wikipediaより)


※天候が、まだまだ怪しい~

千本格子



煙抜き家屋が見える更地
真中は井戸ですかね~

※今ではマンションでも
建ってますかね。

白壁も駐車場の煉瓦塀も気に成ります。

※ねぇ~

駅前地区の此の場所
三條池が在ったんですね。
農地から宅地への変遷



三條農家組合碑

※埋め立て工事碑

石造浮彫弥勒菩薩像
石造浮彫仏涅槃像

※弥勒堂に安置

光明石 春日大明神影向石

※三條池上樋跡記念之碑
 
正一位  古女郎大神サン

※国道及び菩提川改修により
堤上に在ったのを此の場所に移築したとか~


衣料店

※背高蔵

大和棟

※銭湯
敷島温泉さん

コデマリ咲く路地~

※常徳寺(じょうとくじ)は、奈良県奈良市北向町にある日蓮宗の寺院。
山号は 法性山。本堂は貞享3年(1686年)建立で奈良県指定文化財。
享保年間(1716年-1737年)に柳生藩家老小山田主鈴が奉納した朝日妙見大菩薩を祀る。
旧本山は京都頂妙寺、親師法縁。
(Wikipediaより)


髭題目
前には

前には
暗渠化された率川橋の親柱跡

※地蔵様
 

古梅園さん



お店玄関

※榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、
1926年2月1日 - 2010年10月3日)は、
日本の書家・作家・元大阪市立真田山小学校教諭であり、
1971年(昭和46年)より大阪成蹊女子短期大学教授。
次いで平成に入り5年間、近畿大学文芸学部芸術学科教授を務めた。
『花アルトキハ花ニ酔ヒ』
(Wikipediaより)
近鉄劇場で講演を伺いました~
私が好きな書家さんでした。


何処でも絵に成る路地ですね。



綺麗な檜皮葺本殿舎
八王子・四之室神社サン

※明治初期に氷室神社に合祀されましたが
明治23年に此の地に祀られたとか~

簾付家屋も絵に成ります。



絹谷家(きぬたにけ)は、奈良県奈良市元林院町にある歴史的建造物。
絹谷幸二の本家にあたる家であったが、氏の曽祖父(同名の絹谷幸二)により
芸妓置き屋『萬玉楼』として開業された。
現在は町家の趣を味わえるダイニングバーとして賑わっている。
ならまちの中でももっとも古い町家のひとつ。家伝では文化年間の建築であったが、
1990年(平成2年)の改修の際、奈良市教育委員会の調査で棟札が発見され、
正確な建築時期(寛保2年(1742年)5月16日)が判明した。
棟札には大工棟梁等の人名も記されていた。
(Wikipediaより)




見返っても絵に成ります。
電柱がねぇ~
『電線が良いんです』と前にKさん談

※鮑腸汁?
ググったら~
「鮑腸汁(ほうちょうじる)」は大分県周辺の郷土料理で
だんご汁とも呼ばれる。
店内に書かれている「鮑腸汁の由来」によると、昔豊後に鮑が好きな大名がいたが
旅先で鮑の入手が難しかった時に家臣が
小麦粉を練って鮑の腸を模したのが始まりとの事とか。


粋な玄関

元林院町絵屋橋跡
暗渠化された率川の名残~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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