古/いにしえの面影       其の一阡四百拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年04月26日 水曜日
アップ日  2019年04月03日 水曜日
奈良県奈良市登大路町~高畑町(奈良ホテル)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ季節に誘われて~
奈良ホテル(ならホテル)は、奈良県奈良市高畑町にある、
1909年(明治42年)10月に営業開始したホテルである。
春日大社一の鳥居前から天理方面へ向かう国道169号(天理街道)沿いにある、
荒池と呼ばれる農業用灌漑池の畔、かつては興福寺の塔頭である
大乗院が所在した跡地の小高い丘に建っており、
天理街道から本館玄関に至るアプローチ道路南方に旧大乗院庭園が所在する。
興福寺、春日大社、奈良公園などの観光地にも近い。
第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、
近畿において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割をになっていた。
このため「西の迎賓館」とも呼ばれる。
今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らである。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

定番のスポット
前に

※猿沢の池から~
興福寺五重塔

南円堂

※九重の石塔

気を付け!

春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために
768年に創設された奈良県奈良市にある神社。
旧称は春日神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。
武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。
(Wikipediaより)


※荒池由来碑
明治期に作られた農業用溜池ですと…
盆地ですから水不足は深刻だったんでしょうね。

荒池の向こうに
奈良ホテルさん

※興福寺の五重塔も~

名残の桜も~

奈良ホテル入口

※旧大乗院庭園(きゅうだいじょういんていえん)は
奈良県奈良市高畑町にある日本庭園。国の名勝。
興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園は、
12世紀における平重衡による南都焼討で被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、
ここも15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った
善阿弥父子を招いて池泉回遊式庭園を改造させた。
以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられた。
大乗院は廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となったが庭園は残され、
戦後その一部が整備され、森蘊による研究なども奏功して、昭和33年(1958年)に国の名勝に指定された。
1973年からは日本ナショナルトラストが管理することとなった。
平成7年(1995年)から奈良文化財研究所による発掘調査と並行して復原工事が進められた。
平成12年(2000年)秋の調査では東池と西池の中間に2つの小さな丘と、
その間に掘削された溝が発掘された。
翌13年(2001年)の調査では小さな滝と中島を備えた池が発見され、北池と仮称された。
平成22年(2010年)に復原事業が完成。現在は、一般来園者が庭園内を散策することができる。
(Wikipediaより)


庭園見下ろしながら
先行けば~

※奈良ホテルの玄関に~

ドキドキしますわ!






玄関口

※内部階段

ここで
色んな話を~



庭園風景見ながら~
亀吉さんは曽祖父で
吉田サドルと言う自転車部品を
海外に輸出して財を成したとか~

『明治26年(1893年)には鉄道が開通
その頃は、自転車がステータスシンボルであった、
かけそばが1銭8厘のとき、
自転車1台が150円~250円と高価であった。
自転車文化センターHPより』

※残念ながら今まで探しましたが
判らなかった~ゴメン!

奈良ホテル裏口より~

※会話中は、お茶なので
千鳥足にもならずに、
駅までの送迎をお断りさせて頂き、
静かな夜の奈良町を堪能しながら~

夜の徒歩徘徊…






猿沢の池



お土産屋さんは営業中~



前に

※道路元標
日本の道路元標が国によって定められたのは、
里程調査のための明治時代初期のものと、
大正時代の旧・道路法施工令公布の時のものと、
二つの時期にわたって道路に設置されたものがある。
正確には、大正時代に設けられたものが「道路元標」とよばれるもので、
明治時代に設けられたものは里程元標(りていげんぴょう)といい、
大正期の道路元標の前身となるものである。
大正期に設置された道路元標は、1919年(大正8年)の旧道路法制定後に、
同年11月に関係法令として制定した道路法施行令で3条にわたって規定したものである。
この規定内容は、「府県庁、師団司令部、鎮守府、郡市役所または
町村役場の所在地を国道、府県道、または郡道の路線の起点終点とするときは
市町村における道路元標の位置によるものとする」とし、
各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。
さらに、1922年(大正11年)に、道路元標の形状、規格、材料など細目が規定された
内務省令が発布され、当時1万2000以上あった各市町村の自治体中心部に設置が始められた。
設置場所は府県知事が指定することとされており、
ほとんどは市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。
道路元標の大きさは、縦横25センチメートル、高さ約63センチメートルの直方体で、
一般に頂部が弧を描くように丸く削られた形状をしており、材質は花崗岩で製作されているものが多い。
各地方によって頂部の削り取られた形状部分は様々なものが見られ、
材質についてもコンクリートで製作されたものもある。
道路元標の正面には、「○○村道路元標」「○○町道路元標」のように
各市町村名の道路元標であることを示した刻字があり、背面に設置年が彫られている場合もある。
(Wikipediaより抜粋)


南都銀行
正面レリーフ なぜ羊?と思って~
当行本店の建物は、大正15年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店として竣工されたものです。
旧六十八銀行は国立銀行で南都銀行の前身である4つの銀行のうちの1行です。
設計監理は東京在住の工学博士で建築士の長野宇平治氏、施工は大林組でした。
外壁には岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用し、構造は鉄筋コンクリート造の
3階建(一部4階建)地下1階の建物で、奈良唯一の壮麗な外観のギリシア様式建築でした。
このギリシア様式の古典的な建造物のなかで、とりわけ目を引くのが正面のイオニア式円柱に施された
「羊」の彫刻ですが、これは設計者の長野氏と懇意だった東京美術学校教授の水谷鉄也氏の作品です。
「羊」の由来には諸説あるようですが、古代ヨーロッパにおいて民に多くの富をもたらした
家畜を金融機関のシンボルとして採用したのではないかという説が有力です。
(南都銀行HPより抜粋)


※沖縄では…
ヤギですが
苦笑

 夜景も綺麗ですね~
旧JR奈良駅
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.