古/いにしえの面影       其の一阡四百拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年09月15日 金曜日
アップ日  2019年04月10日 水曜日
長野県長野市松代町松代(松代城祉)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ季節に誘われて~
松代城(まつしろじょう)は、長野県長野市松代町松代にある日本の城跡である。
元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。
また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。
形式は輪郭式平城。国の史跡に指定されている。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

近所で気になった御家

※大屋根が~

松代城外堀跡
鉄道跡でもあります。
バックは尼厳山(781m)、奇妙山(1099.6m)


掘割が多い城だったんですね。

1600年(慶長5年)2月に田丸直昌4万石と領地を交換する形で森忠政が13万7500石で
兄の森長可所縁の土地へ入封し、同時に豊臣家の蔵入地9万石は廃止された。
この時、海津城から待城(まつしろ)へと改名された。
1603年(慶長8年) - 森忠政は美作一国(津山藩)18万6500石へと加増転封され、
松平忠輝が14万石(12万石?)で入封した。
忠輝は加増されて越後高田藩主75万石となるが旧領も引き続き領有したため、
家老花井吉成が城代として統治して領内の整備に尽力した。
1616年(元和2年)松平忠輝改易。代わって松平忠昌が12万石で入り、
この忠昌領主時代に待城から松城へと改名された。
1619年(元和5年)松平忠昌、越後高田25万9000石へ転封。酒井忠勝10万石が入封。
1622年(元和8年)酒井忠勝、出羽国庄内藩13万8千石に転封。
真田信之が13万石で入城。以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。
1711年(正徳元年)幕命により松代城と名を改められた。
(Wikipediaより)




二の丸南門跡

※太鼓前門
エエ天気でした~

城下風景は前にも~



内堀

※太鼓前橋

突き当りが
太鼓門石垣

※内堀

太鼓門



海津城祉之碑
黄葉も見たいなぁ~



綺麗な石垣

※城内風景

屏風のような山々に囲まれて~



櫓の周りには防護塀が
在ったんでしょうね。






真田雪村は
この城は見てないでしょうね~



内堀渡って

※城下街へ~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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