古/いにしえの面影       其の一阡四百弐拾一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2017年09月16日 土曜日
アップ日  2019年04月11日 木曜日
長野県長野市戸隠中社(戸隠中社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ季節に誘われて~
戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、五社を配する神社である。
一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、
縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが
嘉祥2年(849年)とされている。
また日本書紀の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、
翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせ、691年に持統天皇が使者を遣わし、
信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。
平安時代後期以降は、天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として
全国にその名を知られ、修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、
高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。
当山(延暦寺山門派)の別当職であった栗田氏が鎌倉期以後は山麓の善光寺(園城寺寺門派)別当をも
世襲したこともあって両寺は関連を強め、参詣者は一度に両方を共に参詣することが多かった。
(Wikipediaより)

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信州大学教育学部
脇に石碑?

※明治天皇行幸之碑

戸隠目指して~



戸隠バードライン(とがくしバードライン)は、長野県長野市街地から、
飯綱高原、戸隠高原への観光アクセスの向上を目的として、
長野県企業局によって建設された有料道路(道路運送法に基づく一般自動車道)である。
この道路の開通により、開通前、長野市街地から戸隠まで車で2時間かかっていたのが、
40分に短縮された。
地すべり災害(後述)を経て一部区間が廃道となり、
残りの区間も長野市道及び長野県道として無料開放された。
(Wikipediaより)


※戸隠神社宝光社は後程~
宝光社(ほうこうしゃ):現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に
阿智の祝部が奥社の相殿として創建されたものである。
祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。
学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。麓から登ってきて最初にあり、
うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
(Wikipediaより)


門前町入口



大きな杉が御出迎え~

※手水舎は駐車場からの参道に~

 中社鳥居正面



 鳥居の根元には
杯状穴



 獅子型狛犬


※吽

 アンドロイドのような~

※道標

戸隠神社信仰遺跡
世界遺産にはならないか?

※戸隠の三本杉
八百比丘尼の伝説も~
前には
 
三本並んで~
前にも



 この石段の上に
中社が有ります。

※招魂碑

境内風景

※本殿舎前の大杉
樹齢約700年!

全景は…



拝殿舎正面から~

※拝殿舎
狛犬




※吽

尻尾

※吽
後ろ姿

宝物殿

※拝殿舎扁額

脇の滝
行場には~

※マスが居ました。

本殿舎

※覆い屋内なんでしょうね。

拝殿舎



永代常夜灯
前橋市戸隠講銘
石燈籠には上州文字も~

茅葺屋根



境内摂社

※参道中段の三本杉方向~

津村信夫文学碑
津村 信夫(つむら のぶお、1909年(明治42年)1月5日 - 1944年(昭和19年)6月27日)は、詩人。
兄は映画評論家の津村秀夫。
法学博士・津村秀松を父として、兵庫県神戸市葺合区に生まれる。官僚・小山健三は祖父。
神戸一中を卒業して慶應義塾大学経済学部に入学し以後は東京に住む。
慶大予科に在学中に肋膜炎にかかり、その療養期間中に文学への素養を深めた。
1930年(昭和5年)に白鳥省吾が主宰する文芸誌『地上楽園』の同人に加わり、それに詩作を発表するようになる。
室生犀星に師事し、生涯にわたってその指導と愛顧を受ける。
1931年(昭和6年)に植村敏夫、中村地平、兄の秀夫と同人雑誌『四人』をおこし、
そのことを相談した山岸外史とも相識ることになる。
1934年(昭和9年)に慶大卒業と同時に東京海上火災に勤務し、
同じ年に詩誌『四季』が創刊されると立原道造とともに参加する。
1935年(昭和10年)、第一詩集『愛する神の歌』を自費出版。1939年(昭和14年)に父を失い、
神奈川県大船町に移住した。
1942年(昭和17年)ころから健康を害し、アディスン氏病との診断を受ける。
東京築地の大東亜病院(現・聖路加病院)に入院、その後の自宅療養中に病状が悪化して他界した。
多磨墓地にある家族の墓に葬られる(多磨霊園8区1種2側5番地)。
(Wikipediaより)




白いキノコ

※ノコンギク

サラシナショウマ(晒菜升麻、更科升麻、学名:Cimicifuga simplex (DC.) Wormsk. ex Turcz.)は、
キンポウゲ科サラシナショウマ属 の多年草の植物。
(Wikipediaより)


※脇の石標

大きな杉が~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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