古/いにしえの面影       其の一阡四百弐拾二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2017年09月16日 土曜日
アップ日  2019年04月11日 木曜日
長野県長野市戸隠奥社(戸隠奥社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ季節に誘われて~
戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、五社を配する神社である。
室町時代には戸隠神社で天台・真言両宗の法論闘争が発生、
応仁2年(1468年)天台派の宣澄法師が真言派に暗殺された。
後世に至って宣澄の供養のため、宝永5年(1708年)に宣澄社が建立され、
村人によって毎年8月16日の中社の例祭に「宣澄踊り」が奉納されるようになった。
このため、衆徒らが約30年間にわたり水内郡小川の筏が峰(現在の長野県上水内郡小川村)に
大日方氏の庇護を受けて移り住むなど苦境の時期であった。
川中島の戦い当時は、多くの修験者と信仰者集団を抱えていた戸隠神社や飯綱神社は
武田、上杉両軍の双方にとってぜひ味方につけたい存在であり、
修験者は広く各地の情報に通じ多くの人々を牽引し戦況を占い、
何より薬草の知識は従軍医師としての期待が大きかった。
このため善光寺や、戸隠、飯綱を味方にするか敵に回すかは極めて重要であったため、
これらをめぐって戦火に巻き込まれ熾烈な戦闘が繰り返されている。
江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。
同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、
山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。
明治時代に入ると明治政府によって神仏分離令や修験宗廃止令が次々と出され、
その結果廃仏毀釈運動が起きたため、戸隠山顕光寺は寺を分離して神社となり、
宗僧は還俗して神官となった。
なお当時戸隠の寺院に奉られていた仏像などは、戸隠近隣の村の寺院などに現在も伝わり祀られている。
(Wikipediaより)

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スキー場が近くに…

※妙高戸隠連山国立公園(みょうこうとがくしれんざんこくりつこうえん)は、
新潟県と長野県にまたがる国立公園である。
2015年に上信越高原国立公園から分離して成立した、比較的新しい国立公園である。
長野県北部から新潟県にまたがり、野尻湖や妙高、戸隠を中心とする山々からなる。
当初の上信越高原国立公園指定地域である三国山脈や志賀高原、浅間山地域とは
大きく離れた飛地であるため、性格が全く異なる地域として分離指定された。
(Wikipediaより)


イワナが棲むほどの清流~
水流が戸隠方向ではなく
信濃町方向に流れている逆川だそうです。

※大鳥居
此処から2km程で
奥社です。

下馬石標も~



参道の初めは混合樹林

※神仏合宗の名残~

大鳥居と奥社の中間部付近に随神門
近くには杉並木が~



茅葺屋根に多くの草が~

※江戸時代の名残~
江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。
同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、
山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。
(Wikipediaより)


扁額

※門をくぐれば~
素晴らしい杉並木!

仁王門だったとか~
大鳥居側

※奥社側

 草木の生命力に驚かされます。



天井には絵馬と千社札が~



仁王様では無くて
右大臣

※左大臣

ウットリとします~
杉並木の美しさに!



奥社院坊跡 参道の左右に在り
廃仏毀釈後は宝光院に住居を移したとか~

※樹木の空に神宿る~
八百万信仰

いつまでも残して欲しいですね。



枝打ちも綺麗にされてます。

※将来を見越した…

標高を稼ぎます。

 行場でしょうね

※信仰の場として~

奥社前の狛犬
どちらも吽?



石段上れば~

※戸隠神社碑

九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり
境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。
地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、
その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、
そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。
氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
(Wikipediaより)


※参道修繕記念碑
尾上講社碑

奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、
天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。
神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。
中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。
途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる杉並木になっている。
神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。
旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺)を祀っていた。
戸隠三十三窟「本窟」・「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、
非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。
現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して
約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。
(Wikipediaより)


※菊花紋

天候が厳しいんでしょうね。
石蔵~

※社紋は鎌卍だそうで~
当社々紋は鎌卍(かままんじ)と言い、四本の鎌を卍型に配置し、かたどった物です。
元々戸隠大神は、古くから水の神、豊作の神としての神格を知られ、
米を主食とする我々日本民族にとっては、とても身近な、親しみ深い神として信仰を集めて参りました。
現在でも、戸隠講の方々などは参拝の際に必ず米を持参して御神前に奉納をしており、
その精神が引き継がれていることの現れと言えるでしょう。
そのような、戸隠の神々と我々との間をつなぐ関係の中から、荒れ草を刈り払い、
豊かな土壌を作り出す為に、初めに農作業で使う道具としての鎌を、
戸隠神社のご利益の象徴として形に表したのが、当社の社紋、鎌卍になったと言われております。
(戸隠神社HPより)


見返って~
社務所の屋根が見えます。

※奥社前の境内風景

扁額

※奥社のバックは
戸隠山(とがくしやま)は、長野県長野市にある山。
戸隠連峰の一峰で、標高は1,904m。
400万年前から270万年前頃の新第三紀の海底火山由来の火成岩が、
山体を作っていると考えられる。
信州百名山および北信五岳のひとつ。長野市の中心部から北西へ直線で20km余りの場所にあり、
麓の戸隠高原には戸隠バードラインが通じる。北方約4kmには高妻山がある。
(Wikipediaより)


社務所

※登山道口

古くから修験道場や戸隠流忍者の里としても知られている。
中腹には戸隠神社(奥社)があり、廃仏毀釈までは聖観音菩薩を祀っていたほか、
摂社に地主神の九頭龍社が祀られている。
また、当山と同じく修験道場として知られる飯縄山は東南東へ直線で約10kmほどの場所にある。
全体として古い岩質で構成され脆く崩れやすい地質のため、登山の上級者向けの山とされる。
登山者は山の形状が屏風形であるため切り立った崖を登るか縦走とならざるをえず、
幅50cm前後しかない尾根上が登山路となり両側が断崖絶壁である「蟻の塔渡り」など危険な場所が多く、
毎年のように墜落(滑落ではない)死亡事故が発生している。
(Wikipediaより)


ツリフネソウが~
和歌では晩夏から秋にかけての季語として詠まれる。
花言葉は「心を休める」「安楽」「期待」「詩的な愛」「私に触らないで」など。


※黄色も~

ガマズミの実も赤く朱く~

※帰りには戸隠森林植物園を散策して~

トリカブトの花は~
トリカブト(鳥兜・学名Aconitum)は、キンポウゲ科トリカブト属の総称である。
有毒植物の一種として知られる。
ドクウツギやドクゼリと並んで日本三大有毒植物の一つとされ、
トリカブトの仲間は日本には約30種が自生している。
花の色は紫色のほか、白、黄色、ピンク色など。多くは多年草である。
沢筋などの比較的湿気の多い場所を好む。
トリカブトの名の由来は、花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子に似ているからとも、
鶏の鶏冠(とさか)に似ているからとも言われる。
英名の"monkshood"は「僧侶のフード(かぶりもの)」の意。
塊根を乾燥させたものは漢方薬や毒として用いられ、烏頭(うず)または附子(生薬名は「ぶし」、
毒に使うときは「ぶす」)と呼ばれる。
本来、「附子」は球根の周りに着いている「子ども」の部分。
中央部の「親」の部分は「烏頭(うず)」、子球のないものを「天雄(てんゆう)」と呼んでいたが、
現在は附子以外のことばはほとんど用いられていない。
俗に不美人のことを「ブス」というが、これはトリカブトの中毒で神経に障害が起き、
顔の表情がおかしくなったのを指すという説もある。
ヨーロッパでは、魔術の女神ヘカテーが司る花とされる。
ギリシア神話では、地獄の番犬といわれるケルベロスのよだれから生まれたともされている。
狼男伝説とも関連づけられている。
(Wikipediaより)


※混合樹林

シラネセンキュウ(白根川芎、学名:Angelica polymorpha)はセリ科シシウド属の多年草。別名、スズカゼリ。
茎は細長く中空で、直立し、上部は分枝して、高さは80-150cmになる。
葉は3-4回3出羽状複葉になり、小葉は卵形で薄く、縁の切れ込みの深さに変化が多く、
葉の裏側は帯白色になる。茎につく葉は互生し、葉柄の下部は淡色で袋状にふくらむ。
花期は9-11月。茎頂か、分枝した先端に複散形花序をつける。
花は白色の5弁花で、花弁は広い倒卵形で萼歯片はない。
花序の下にある総苞片はほとんどなく、小花序の下にある小総苞片は細く多数ある。
果実は広楕円形になり、広く薄い側翼がある。分果の背隆条は脈状になり、
油管は表面側の各背溝下に1個、分果が接しあう合生面に2個ある。
(Wikipediaより)


※サラシナショウマ(晒菜升麻、更科升麻、学名:Cimicifuga simplex (DC.) Wormsk. ex Turcz.)は、
キンポウゲ科サラシナショウマ属 の多年草の植物。
(Wikipediaより)

変形してますね。

信州鳥類生態研究センター
信州植物生態研究センター
信州雷鳥生態研究センター
信州羚羊生態研究センター
建立碑
カモシカ(氈鹿、羚羊)とは、広義には、ウシ目(偶蹄目)ウシ亜目(反芻亜目)
ウシ科ヤギ亜科の、ヤギ族以外、すなわち、サイガ族・シャモア族・ジャコウウシ族の3族の総称。8属10種が属す。
シカの名が入っているが、シカの属するシカ科ではなく、ウシやヤギと同じウシ科に属する。
したがって、シカとは違い、ウシ科のほかの種同様、角は枝分かれせず、生えかわりもない。
羚羊をカモシカではなくレイヨウと読めば、アンテロープ、つまり、ウシ科の大部分を含む
(しかしカモシカは含まない)不明確なグループのことになる。
なお「カモシカのような足」という表現に現れるカモシカとは、本来はレイヨウのことである。
(Wikipediaより)


※トチバニンジン(栃葉人参)
山地の林内に生える多年草。 花よりも秋に付ける赤い実の方が良く知られている。
和名は葉がトチノキに似たニンジンの意味。
(たじま高原植物園HPより)
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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