古/いにしえの面影       其の一阡四百弐拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年09月23日 土曜日
アップ日  2019年05月06日 月曜日
京都府京都市右京区太秦森ケ東町(蚕ノ社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
エエ歌に誘われて~
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)は、
京都府京都市右京区太秦森ケ東町にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。
通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」や「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも。
古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には珍しい三柱鳥居があることで知られる。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

嵐電蚕ノ社駅

※この路地は川跡では?

蚕養神社銘

※一の鳥居

参道突き当りには~

※木嶋坐天照御魂神社碑

木製鳥居も~

※ネストリウス派とは、古代キリスト教の教派の1つ。
コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。
431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。
これにより、ネストリウス派はペルシャ帝国へ移動し、
7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。
唐代の中国においては景教と呼ばれる。
のちアッシリア東方教会が継承した。
但し
三柱鳥居に関しては、キリスト教ネストリウス派の景教の遺跡であって
秦氏が景教を将来したとする俗説もあったが、そもそもの景教の中国移入は635年、
正式認可は638年であり、秦氏の渡来時期からかなり下るため否定されている
(木島坐天照御魂神社(神々) & 1986年)。
(Wikipediaより)





創建は不詳。一説に、推古天皇12年(604年)に広隆寺創建に伴い勧請されたともいわれる。
史料からは大宝元年(701年)の記事以前の祭祀の存在が認められている。
「祭神」節のように祭祀の淵源には諸説があるが、嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、
広隆寺・松尾大社・蛇塚古墳などの関係寺社・史跡が知られることから、
木嶋社もまた秦氏ゆかりの神社といわれる。
また現在本殿の東隣に鎮座する蚕養神社は、この秦氏が招来した養蚕・機織・染色技術に因むと推測される。
ただし秦氏の渡来以前にも、木嶋社付近では和泉式部町遺跡などの弥生時代頃からの
集住を表す遺跡の存在が知られている。


※文化期の縮緬仲間銘
ちりめん(縮緬、クレープ織り、仏: crêpe)は、絹を平織りにして作った織物。
縦糸にはほとんど撚り(より)のない糸を使い、
横糸に強い撚りをかけた右より(右回りにねじる)と左より(左回りにねじる)の糸を交互に織ったものである。そのため精練すると布が縮み生地の表面にシボ(凹凸)が現れる。主に高級な呉服や風呂敷に使われる。
絹・レーヨンで織られたちりめんは、水に付けると縮むので水分を避けること。
ポリエステルで織られたちりめんは、水に付けても縮まない。
日本のちりめんの主なものに、京都府丹後地方の丹後ちりめん、滋賀県長浜市の浜ちりめんがある。
現在、京都府丹後地方では原料の糸を絹から綿・化合繊に変えた丹後ちりめんも織られている。
越後ちりめんを産する現在の新潟県(上越市高田など)もちりめんの主な生産地の一つである。
テレビドラマ『水戸黄門』では、主人公水戸光圀は「越後の縮緬問屋の隠居で光右衛門」と名乗っている。
(Wikipediaより)


野戦重砲砲弾
上に砲弾が載っていたんでしょうね。

※退営記念

社務所

※社紋 二葉葵紋
前には

拝殿

※飾り瓦も~

拝殿舎正面



本殿舎と蚕養神社

※境内摂社

拝殿から
参道見返って~

※石燈籠
呉羽講銘

二葉葵紋

元糺の池の中には三柱鳥居(みはしらとりい、三ツ鳥居/三面鳥居/三角鳥居)が建てられている。
これは柱3本を三角形に組み、3方から中心の神座を拝することを可能とする珍しい形式の鳥居で、
「京都三鳥居」の1つに数えられる。
中央の神座は、円錐形に小石を積み、中心に御幣を立てて依代としたものである。
この鳥居の起源等は詳らかでなく、秦氏の聖地である双ヶ丘・松尾山(松尾大社神体山)
稲荷山(伏見稲荷大社神体山)の遥拝方位を表したとする説などがある。
現在の鳥居は天保2年(1831年)の再興であるが(社伝では享保年間(1716年-1735年)の修復)、
(Wikipediaより)


安永9年(1780年)の『都名所図会』では豊かな湧水とともに
現在に見るのと同じ三柱鳥居の様子が描かれている。
平成14年(2002年)の発掘調査によって、かつては本殿東側の各所にも泉のあったことが判明しており、
元糺の池もそのような泉の1つが神聖化されたものと考えられている。
この発掘調査では、少なくとも平安時代中期頃に遡る、泉に伴う石敷遺構が出土している。
(Wikipediaより)


※境内風景~

宝物庫

※カラスアゲハ~

椿丘大明神

稲荷社なんでしょうね



眷属



稲荷社



白清社

※稲荷社

石標電柱

※東映映画(株)京都撮影所銘

湧水が豊富な時には
清水が流れていたんでしょうね。



暗渠でしょうか?

※西へ向かって
三条太秦
繁栄会

米屋さん



気に成りますよね~

※10月第一土日は神幸祭

常楽寺さん


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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