古/いにしえの面影       其の一阡四百参拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年10月28日 土曜日
アップ日  2019年05月10日 金曜日
大分県大分市佐賀関(早吸日女神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

台風22号:アジア名サオラー(Saola)と命名された。
25日夜にはフィリピン大気地球物理天文局(PAGASA)によって
フィリピン名ケーダン(Quedan)と命名された。
その後は発達しながら北上、西日本・東日本の太平洋側、奄美地方、沖縄県に大荒れの天気をもたらし、
30日0時に三陸沖(北緯38度、東経144度)で温帯低気圧となった。
30日正午には千島近海で944hPaに達し爆弾低気圧となった。
台風の中心が陸地から離れていたことから、本州・四国では21号のような豪雨にはならなかったが、
宮崎県では記録的な大雨となった。
また、湖西線・阪和線は、30日の午前中まで運休した。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ、はやすひめじんじゃ、速吸日女神社とも表記)は、
大分県大分市にある神社。式内社で、旧社格は県社。別称、関の権現様。
八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、大直日神(おおなほびのかみ)、住吉三神(底筒男神(そこつつおのかみ)、
中筒男神(なかつつのおのかみ)、表筒男神(うはつつのおのかみ))、大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)を祀る。
神社の縁起によれば、紀元前667年に、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと、後の神武天皇)が東征の途中で
速吸の瀬戸(豊予海峡)を通りかかった折りに、海女の姉妹の黒砂(いさご)・真砂(まさご)の二神が、
潮の流れを静めるために海底から大蛸が護っていた神剣を取り上げて神日本磐余彦尊に奉献したところ、
神日本磐余彦尊自らがこの剣を御神体として、祓戸(はらへど)の神(速吸日女)を奉り、
建国を請願したのが始まりであるとされる。
その後、大宝元年(701年)に現在の場所に遷座。慶長5年(1600年)には戦火によって社殿を焼失したが、
熊本藩の所領となり、慶長7年(1602年)に加藤清正によって再建され、その後も歴代熊本藩主細川氏によって造営された。
2004年3月には、本殿、総門、社家が大分県の有形文化財に指定されている。
長い間神剣を守護していたタコは神社の眷族とされており、仕える神職は一切口にしない。
現在でも参拝者の心願成就を書き入れたタコの絵を奉納し「タコ絶ち祈願」が行われている。
毎年、5月上旬ふじ祭りが行われ、7月には大祭(夏祭り)が行われる。大祭では、山車や神輿が町内を回る。
拝殿の屋根はこの地方独特の瓦技法を伝える屋根で、浦島太郎や三重塔などのユニークな瓦が乗っている。
(Wikipediaより)


※脇の御堂
神宮寺さんでしょうか?

 


由緒略記

※忠魂碑

南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。
陸軍大将正二位勲一等功四級。軍内派閥では田中義一、宇垣一成の直系として1927年(昭和2年)に参謀次長、
1929年(昭和4年)に朝鮮軍司令官を歴任、満州事変当時は陸軍大臣として事変不拡大を指示する。
戦後、極東国際軍事裁判にて終身禁固刑となる。
(Wikipediaより)

韓国は前に



他ではあまり見ない
大理石製の独特な形

※皇紀2596年
昭和11年ですね。
1936年(昭和11年)、第8代朝鮮総督になり内鮮一体化を唱え、
民族語の復活・朝鮮語教育の推進・創氏改名した時期ですか~
(Wikipediaより)


隋神門

細川 綱利(ほそかわ つなとし)は、第3代肥後熊本藩主。
熊本藩細川家4代。第2代藩主細川光尚(光利)の長男。
吉田司家を肥後に招き、当時衰退していた相撲道を後援したことや、
赤穂事件後大石良雄らのお預かりを担当したことで知られる。
(Wikipediaより)


鯱が載ってます。



右大臣

※左大臣も~

境内摂社

※神橋渡って~

神橋から隋神門
見返って~

※社紋は下がり藤

 隋神門屋根に
浦島太郎

※竜宮城

社務所
太鼓も~

※手水舎

手水舎裏に
弁天池、その向こうに楠の大木

※弁天様と思えば~

 神明社なんですね。
 
大亀碑
やはり海亀の産卵地の関係でしょうか?
前には

※イシガメにも見えますが~
 
普通の爪の有る足

本殿舎へ~

※扁額

境内摂社
歳神社・天然社・若御子社

※左が御供殿
右が生土社・相殿社

伊邪那伎社



見返って~

※参集殿

社殿大改修工事
昭和33年

※その時の飾り瓦でしょうか?
見事な龍

肥後藩主:細川侯爵家
延岡藩主:内藤子爵家

※多くの奉納碑

神楽殿



大きな面が置かれていました。

※天狗ですね。

昔の学校のような 拝殿舎

※飾り瓦も見事に!

水に関係が多いのでしょうね
龍がいたるところに~

※木鼻
獅子と象

 


狛犬


※吽

狛犬の顔


※吽

後ろ姿

※佐賀関測量夫会

文化期の狛犬ですね
石工は山城屋

※多くの玉垣

本殿舎裏側

※本殿舎

本殿舎



御神水

※良い水が出ていると~

拝殿舎の重厚な屋根



拝殿舎屋根にも
浦島太郎

※竜宮城

記念樹
明治天皇崩御の際に
この桜の木も風雨が無いのに
一大音響と共に倒壊したとか~

※床下にも
彫刻が~

何処に続く~

※楠


※摂社

社務所には地元の名産物が~
釣針

※さざえ味付缶詰

昔、見た思い出が~
輸出もされたんでしょうか?
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.