古/いにしえの面影       其の一阡四百参拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年10月28日 土曜日
アップ日  2019年05月10日 金曜日
大分県大分市佐賀関(関崎燈台)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

台風22号:アジア名サオラー(Saola)と命名された。
25日夜にはフィリピン大気地球物理天文局(PAGASA)によって
フィリピン名ケーダン(Quedan)と命名された。
その後は発達しながら北上、西日本・東日本の太平洋側、奄美地方、沖縄県に大荒れの天気をもたらし、
30日0時に三陸沖(北緯38度、東経144度)で温帯低気圧となった。
30日正午には千島近海で944hPaに達し爆弾低気圧となった。
台風の中心が陸地から離れていたことから、本州・四国では21号のような豪雨にはならなかったが、
宮崎県では記録的な大雨となった。
また、湖西線・阪和線は、30日の午前中まで運休した。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

佐賀関上浦の街並み~
瓦も漆喰で補強されてます。

※西町へ~

西町風景~



此処も補強屋根瓦



関崎の東側には
西町(佐賀の関漁港)以外に
幸の浦、小黒の漁港の有る集落
黒ヶ浜の在る大黒が在ります。
で、此処は小黒です。

※夫婦岩?

台風の影響で
道路にまで波が被さります。



黒ヶ浜

※階段でしょうか?
オブジェ??

賀関循環線
登って行きます~

※関崎稲荷社
鳥居

関崎(せきざき)は、大分県大分市佐賀関の佐賀関半島にある岬。地蔵崎とも呼ばれる。
豊後水道の最挟部である豊予海峡(速吸の瀬戸)を挟んで四国側の佐田岬と相対する。
関崎周辺の海域は、関あじ、関さばを産する好漁場として知られている。
また、日豊海岸国定公園の一部となっている。
古くから航海の難所として知られ、役小角がここで激しい波浪に遭い難破しそうになった
時に般若心経を唱えると地蔵菩薩が現れて波風がおさまったという伝説がある。
養老年間(717年 - 724年)には、現在「波除け地蔵」呼ばれている地蔵尊が安置され、
これに因んでこの岬が地蔵崎と呼ばれるようになった。
また、奈良時代の716年(霊亀2年)頃には「戍」(じゅ)と呼ばれる関が
置かれて往来する船とその積み荷を制限し、山上には烽(とぶひ)が置かれたという。
『肥後国志』は、藤原純友が反乱(承平天慶の乱)を起こした際に、
佐賀関を通行するすべての船を臨検したことから、「関」の名が興ったと伝える。

(Wikipediaより)



燈台向けて傘さして徒歩です。

※かぼっしー曰く
燈台の一般公開は台風接近の為に
中止とか…ありゃ~

関埼灯台(せきざきとうだい)は、
大分県大分市の佐賀関半島の突端の関崎に位置する灯台である。
1901年(明治34年)7月20日に初点灯した大分県で最古の灯台である。
1918年(明治41年)4月に竣工した対岸の佐田岬灯台とともに、豊後水道の最狭部で、
瀬戸内海と太平洋をつなぐ豊予海峡を通過する船舶の航行に
現在も重要な役割を果たしている。
また、領海法施行令をはじめとする各種の法令において、
瀬戸内海の範囲を規定する際の起点のひとつとされている。

※関埼灯台の初点灯時の第3等フレネル式レンズは1918年(大正15年)に
佐田岬灯台に移設され、その後、関埼灯台では約百年間にわたり、
灯台完成前の1870年(明治2年)にイギリスで製造された
第4等フレネル式レンズが用いられてきた。
しかし、2009年(平成21年)2月13日に高光度LED灯器に交換され、
フレネル式レンズは近隣の関崎海星館で展示されている。

(Wikipediaより)

沖には高島

※見返ると関崎海星館(天文台)が~

台風接近です!

※燈台カード

アースですね。

※波除地蔵様

速吸瀬戸を望んで~

※燈台守の方でしょうか?
墓標が~

台風接近なのに
漁船は出ています。
海が荒れる前には漁が立つなんて
伺ったことが有ります。

※残念ながら、この日は
佐田岬(四国)は見えませんでした~

中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん。英: Median Tectonic Line)は、
世界第一級の断層である。
英語表記からメディアンラインやメジアンラインとも言い、略して MTL とも言う。
中央構造線が地表からも確認できるのは九州東部までで、
中生代末頃の堆積岩や阿蘇山及びその噴出物に覆われている
九州中西部では存在が確認されていない。
中央構造線の延長線は、愛媛県松山市から大分県の佐賀関半島に延び、
佐賀関半島と国東半島の間を通っているのは確実視されている。
(Wikipediaより)




牛島

※標高50mの燈台後にして~

石畳の道を
天文台へ~

※関崎稲荷社

本殿舎は、ありゃ~

標高100mまで
登ってきました。
幸福の鐘
2回鳴らしました。

※川中美幸さん
『豊後水道』2012年発表
作詩:阿久悠
作曲:三木たかし

岬巡ればまた入江
人の情けに出会えそう
辛口の地の酒を…
何を歌うか豊後水道♪


せりあうて紫陽花の毬
をさまりぬ
陽鳥

下に燈台が~

※此処からでも本日、
佐田岬(四国)は見えません~

アサギマダラが飛来すると~
アサギマダラ(浅葱斑、学名:Parantica sita)は、
チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科に分類されるチョウの1種。
翅の模様が鮮やかな大型のチョウで、長距離を移動する。
日本全土から朝鮮半島、中国、台湾、ヒマラヤ山脈まで広く分布する。
分布域の中でいくつかの亜種に分かれていて、
このうち日本に分布するのは亜種 P. s. niphonica とされる。
標高の高い山地に多く生息する。九州以北で成虫が見られるのは
5月から10月くらいまでだが、南西諸島では逆に秋から冬にかけて見られる。
(Wikipediaより)


※フジバカマ咲いてます。
前には~
01 02 

関崎海星館(せきざきかいせいかん)は、
大分県大分市大字佐賀関にある天文台及び展望施設等からなる複合施設である。
1995年開館。大分県内では最大級の口径60cmの反射望遠鏡と、
太陽観測用の10cm屈折望遠鏡がある。
また、館内には宇宙について学ぶことができる展示ゾーンや
研修室、レストランもあり、雨天でも利用できる。
佐賀関半島先端の関崎の高台にあるため、
展望施設からは国東半島、別府湾、豊予海峡等の広範囲が展望できる。
(Wikipediaより)


※関アジ・関サバ
有名所!

平成23年から
無料になりました!

付近観光マップ

※高島・牛島までしか
この日は見えない~
残念!
前には

日豊海岸国定公園(にっぽうかいがんこくていこうえん)は、
九州東部の大分県中部(佐賀関半島)から南は宮崎県北部(美々津海岸)に
かけての海岸線に設置された国定公園。
延長約120kmにおよぶ海岸部半島、湾入、島嶼断崖と続くリアス式海岸と多島海景。
1974年(昭和49年)2月15日指定。
名称中の日豊とは日向国(現在の宮崎県)と豊後国(現在の大分県)とを指す(日豊本線などが著名)。
北端は大分県大分市の佐賀関、南端は日向市の美々津地区近辺に位置する。
この地域の海岸線には複雑なリアス式海岸が発達している。
このため、好漁場が多く、佐賀関の関あじ、関さばを始め、
臼杵のフグ、佐伯のブリ、津久見のマグロなど魚介類の名産に富む。
また、暖流の黒潮の影響を受け水温が高いため、屋形島・深島をはじめとして、
海中にはサンゴの群落が発達しており、10箇所の海中公園が指定されている。
(Wikipediaより)


※大地はすべての母
栗の実だいて
静か
   露色
前には

天と地とに挟まれての有為転変
それが人生である。過去との対決を未来に果す現代は、
常に危機を胎んでいる。それが社会である。
けれども私は、地を愛し、天を信ずる。
津田露色 本名:五(あつむ)
(明治26年~昭和47年8月没)
佐賀関町に生まれ医業を継ぎ
28才より俳句を始めた。
口語俳句
娘さん銘の句碑


※西町に戻って~

佐賀関漁港

※一本釣がメインでしょうね~

漁港ニャンコ

※台風の影響は
少ない地区でしょうか?
堤防が低い…
前には

西町の街並み
津田さんの息吹が~

※ん?
龍馬街道~
出立の地
古来、人が住めば、「せど道、小道」による往来が行われ、往還と呼ばれました。
人馬、文物、多様な目的を持った通行道を街道と呼び、徳川第三代将軍家光の時代、
寛永13年(1635年)武家諸法度が発布され、古代からあったと思われる要路が、
参勤交代の道として整備され肥後藩主等が使用していました。

このような街道を坂本龍馬、勝海舟が駆け抜けています。
幕末、文久4年(1864年)オランダ、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国の
下関砲撃中止の交渉のため、幕府から長崎出張の命を受けた勝海舟は、
海軍塾の塾頭である坂本龍馬を連れ立って神戸を出帆し
2月15日に佐賀関に上陸、佐賀関の徳応寺に宿泊、佐賀関街道を通って、
翌16日は鶴崎に宿泊、肥後街道を通って17日には野津原に宿泊し肥後街道を通って、
熊本に行き、その後長崎に向かっています。
海舟日記によれば、佐賀関において「15日 5時 豊前、佐賀関、着船。即ち徳応寺へ止宿す。」
鶴崎において「16日、豊後鶴崎の本陣へ宿す。
佐賀関より5里。此地、街市、可なり、市は白滝川に沿う。山川水清、川口浅し。」とあり、
次の句を残しています。
「大御代はゆたかなりけり 旅枕 一夜の夢を 千代の鶴崎」
(大分観光協会HPより)

もっと大きく書きましょうよ!

佐賀関港
佐賀関~三崎間のフェリーは前に

※次は乗りたいなぁ~

秋之江集落から見た
蔦島

※白木浜から
佐賀関方面

玉井辺り

※いくつかのトンネル、洞門抜けて~
雨ですわ…
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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