古/いにしえの面影       其の一阡四百参拾八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年10月28日 土曜日
アップ日  2019年05月11日 土曜日
大分県臼杵市深田(臼杵磨崖仏・深田石鳥居)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

台風22号:アジア名サオラー(Saola)と命名された。
25日夜にはフィリピン大気地球物理天文局(PAGASA)によって
フィリピン名ケーダン(Quedan)と命名された。
その後は発達しながら北上、西日本・東日本の太平洋側、奄美地方、沖縄県に大荒れの天気をもたらし、
30日0時に三陸沖(北緯38度、東経144度)で温帯低気圧となった。
30日正午には千島近海で944hPaに達し爆弾低気圧となった。
台風の中心が陸地から離れていたことから、本州・四国では21号のような豪雨にはならなかったが、
宮崎県では記録的な大雨となった。
また、湖西線・阪和線は、30日の午前中まで運休した。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

雨の駐車場

※参道です~

高校時分にサイクリング中に
訪れた石像はこんな感じでしたが…

※煉瓦煙突

こんな整備されてなかったと~
圃場も無かったと覚えてますが~



臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)は、大分県臼杵市にある磨崖仏である。
一般には臼杵石仏(うすきせきぶつ)の名で知られている。
1952年(昭和27年)に国の特別史跡に指定され、1995年(平成7年)には、
磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定された。
磨崖仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない。
地元に伝わる「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」では、
この磨崖仏は亡くなった娘の菩提を弔うために長者が彫らせたとされており、
用明天皇が登場することから、この伝説の舞台は6世紀後半と考えられる。
しかし、実際の磨崖仏は、仏像の様式などから大部分は平安時代後期、
一部は鎌倉時代の作と推定されている。
(Wikipediaより)


※その後、磨崖仏は山岳仏教の衰退と共に忘れ去られ、
1000年の風雨に曝され続けることとなった。
元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、
また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。
現在、多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。
劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した。
中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、
1993年(平成5年)に保存修復が完了するまでの間、
仏体下の台座に置かれたままであった。
修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、
臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたが、
仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、
最終的に元の位置へ復元されることとなった
(Wikipediaより)


真名野長者伝説(まなのちょうじゃでんせつ)は、大分県に伝わる民話。
「まんのう長者」、「満能(まんのう)長者」、「万の長者」なども表記。
特に定まった題名はなく、話し手や著者によって「炭焼き小五郎伝説(すみやきこごろうでんせつ)」、
「真名の長者と般若姫(まなのちょうじゃとはんにゃひめ)」、般若姫物語(はんにゃひめものがたり)」、
などと、様々に呼ばれている。
『大和朝廷の時代、都に、顔に醜い痣のある姫がいたが、
仏のお告げに従って豊後国深田に住む炭焼き小五郎の許へ行き夫婦になる。
2人は数々の奇跡により富を得て長者となり、1人の娘が生まれた。
般若姫と名付けられた娘は都にまで伝わるほどの美女に成長し、1人の男と結婚するが、
実はその男は都より忍びで来ていた皇子(後の用明天皇)であった。
皇子は天皇の崩御により都へと帰ることになったが、姫は既に身重であった為、
「男の子が産まれたなら、跡継ぎとして都まで一緒に、女の子であったなら長者夫婦の跡継ぎとして残し、
姫1人で来なさい」と告げて帰京してしまう。
産まれた子供は女の子であった為、姫は1人で船に乗り都を目指すが、
途中嵐に会い周防国大畠に漂着する。
村人による介抱も虚しく数日後に姫は逝去してしまう。
姫の死を悲しんだ長者は中国の寺に黄金を送ると共に、深田の岩崖に仏像を彫らせた。
その仏像が現在も残る国宝臼杵石仏である。』という物語である。
(Wikipediaより)


※多くの石塔が~




ホキ石仏第二群第二龕
(ホキとは崖と言う意味、龕=群とか)

※都の木彫仏師の作とか~

光背等の彫込は少ないですが
石仏の彫は立体的で正確です。

※ホキ石仏第二群第一龕
都仏師のニヤリが~

ホキ石仏第二群第一龕
1000年以上前の作品とは
思えない~

※大きいです~

佐吉さんも見たんでしょうか?



多くの石塔
集積地

※先へ~

ホキ石仏第一群第三龕、第四龕



ホキ石仏第一群第三龕

※ホキ石仏第一群第四龕

裏山登って~

※承安期の五輪塔
承安(じょうあん、しょうあん)は、日本の元号の一つ。
嘉応の後、安元の前。1171年から1174年までの期間を指す。この時代の天皇は高倉天皇。
承安元年(1171年)
承安2年(1172年)
           承安3年(1173年) - 親鸞生まれる。
承安4年(1174年) - 平清盛が大輪田泊(神戸)に経が島(経ヶ島)を築く
承安5年(1175年) - 浄土宗の立教開宗の年、この年の春、法然が比叡山を下りて、
          黒谷に庵をつくり念仏の教えを広めた。
(Wikipediaより)


承安期の五輪塔



日吉社

※扁額

手水鉢

※境内に土俵~

石造五輪塔

※平安末期から鎌倉期
に制作されたものと思われる~


鳥居前の地蔵様

大友宗麟公に破却された、
水分神も合祀されているとか~
大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)は、
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。キリシタン大名。
大友氏21代当主。宗麟の法号で知られている。
大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて少弐氏・島津氏と共に幕府御家人衆の
束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の進出に対し少弐氏と結び抗争している。
父は20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘とされるが、大内氏の家督を継いだ大内義長(晴英)と
異母兄弟にあたるともいわれ、異説として公家出身の娘か家臣の娘が母とする説がある。
一説に生母は阿蘇惟憲の娘。弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統(吉統)、親家、親盛など。
中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした
海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、
大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。
当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。
最盛期には九州六ヶ国を支配して版図を拡げた。しかし、薩摩から北上した島津義久に敗れ、
晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。
(Wikipediaより)


※本殿舎

境内摂社



山王山石仏



金剛力士像

※左側は剥脱してる~

キョロ目が~



古園磨崖仏
昔の写真

古園石仏群の大日如来像の仏頭は、
1993年(平成5年)に保存修復が完了するまでの間、
仏体下の台座に置かれたままであった。
修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、
臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたが、
仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、
最終的に元の位置へ復元されることとなった
(Wikipediaより)


この姿は初めて見ました~

※やはり、こうでなくては~

脇から~



1000年の風雨に曝され続けることとなった。
元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、
また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。
現在、多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。
劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した。
(Wikipediaより)


※コケの部分が水位の証

往時は着色されていたんでしょうね。



覆屋
見返りながら~

※句碑?

ホキ石仏第二群第二龕舎
覆屋

※付近風景~

駐車場脇に~

※深田の鳥居

この鳥居は凝灰岩で作られており、土中から出ている部分では、
高さ3.2m、二本の柱をつなぐ島木は4.5mを測ります。
柱脚が太く、二本の石材を重ね継いでいるのが特徴だといえます。
鳥居修復の際に解体したところ、笠木の支え石(額束)の表面に、
微かに「王」の文字が刻まれていることが確認されたことから、日吉神社の参道に関係する
鳥居ではないかと推測されます。
鳥居の形態などから鎌倉から室町時代にかけての作であると考えられます。
(臼杵市教育委員看板より)




周りの圃場から
参道は?



初めは違和感が在ったんですが~
慣れれば重厚で風景に溶け込んでいます。


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.