古/いにしえの面影       其の一阡四百参拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年10月28日 土曜日
アップ日  2019年05月12日 日曜日
大分県別府市元町~北浜(別府タワー)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

台風22号:アジア名サオラー(Saola)と命名された。
25日夜にはフィリピン大気地球物理天文局(PAGASA)によって
フィリピン名ケーダン(Quedan)と命名された。
その後は発達しながら北上、西日本・東日本の太平洋側、奄美地方、沖縄県に大荒れの天気をもたらし、
30日0時に三陸沖(北緯38度、東経144度)で温帯低気圧となった。
30日正午には千島近海で944hPaに達し爆弾低気圧となった。
台風の中心が陸地から離れていたことから、本州・四国では21号のような豪雨にはならなかったが、
宮崎県では記録的な大雨となった。
また、湖西線・阪和線は、30日の午前中まで運休した。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

宿からの風景~

※地元散策は明日に~

富士見通り沿いのグローバルタワー
ビーコンプラザのシンボルタワー・グローバルタワーは125mの高さ。
地上100mにつくられた展望テラスは、別府湾を一望できます。


北部旅館街より一本海側道路を~
本当は市内を自転車ポタしたかったんですが…

※やよい天狗
アーケード
後で来ます。

半分埋め込み地蔵尊

※別府タワー(べっぷタワー)は、大分県別府市にある観光塔である。
旧名、観光センターテレビ塔(かんこうセンターテレビとう)。
高さは90m。名古屋テレビ塔、通天閣に次ぎ、
日本で3番目に建てられた高層タワーで、別府観光のシンボルとして親しまれる。
登録有形文化財(2007年10月2日登録)。運営は、別府観光開発株式会社。
名古屋テレビ塔、通天閣、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーを設計し、
「塔博士」とも呼ばれる建築構造家・内藤多仲のタワー六兄弟のひとつである。


建物の立体駐車場より~
別府の市内
北西部

※北東部

傘さして~
仮装童子
ハロウィンですか~

※やよい天狗
アーケード

日本一の純生アイスクリーム
食べたかったなぁ~

自転車にナショナルランプ
雪印アイスクリーム
懐かしいなぁ~

※マツダランプ…
懐かしい物の塊!

笑顔であたたかいおもてなし

美しい町 温泉を大切に

※達磨自転車オブジェ~

脇道には猫1匹

※昭和アーケード

油屋 熊八(あぶらや くまはち、
1863年8月29日(文久3年7月16日) - 1935年(昭和10年)3月24日)は、日本の実業家。
泉都「別府」の観光開発に尽力し、田園的な温泉保養地「由布院」の礎を築いた。
伊予国宇和島城下(現愛媛県宇和島市)の裕福な米問屋の生まれで、
1888年(明治21年)には27歳で宇和島町議に当選。
30歳の時に大阪に渡って米相場で富を築き、別名「油屋将軍」として羽振りが良かったが、
日清戦争後に相場に失敗して全財産を失う。
35歳の時にアメリカに渡り放浪の上、現地の教会でキリスト教の洗礼を受けた後、約3年滞在。
帰国後、再度相場師となるがうまくいかず、熊八のアメリカ渡航時に
別府に身を寄せていた妻を頼り、1871年(明治4年)の別府港開港以来、
飛躍的に発展していた温泉都市大分県別府市で再起を図ろうと移り住む。
別府では、1911年(明治44年)
「旅人を懇ろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)という
新約聖書の言葉を合言葉に、サービス精神の実践として亀の井旅館(現在の別府亀の井ホテル)を創業。
1924年には洋式ホテルに改装して亀の井ホテルを開業。
続いてバス事業に進出し、1928年(昭和3年)1月10日に亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立して、
日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を開始した。
今でこそ観光地の売出しや開発には公費の支出が当たり前な現代とは違い、
別府温泉の宣伝はすべて熊八個人の私財と借財でまかなわれた。
そのため熊八没後、亀の井自動車や旅館は借金の返済のため売り払われたが、
その行動力と独創力に敬意をこめ別府観光の父・別府の恩人として慕われ、
別府市民らで「油屋熊八翁を偲ぶ会」が作られている。
墓は故郷の宇和島市の光国寺にある。
(Wikipediaより)




懐かしの別府



ピンボケスミマセン~



何?
事故?オブジェ??
台風は未だ接近中なのですがね~

※竹瓦小路

竹瓦小路アーケード(たけがわらこうじアーケード)は、
大分県別府市にあるアーケード商店街。1921年(大正10年)12月1日に完成した、
現存する日本最古のアーケードである。
流川通り(大分県道52号別府庄内線)と竹瓦温泉とを結ぶ長さ約70m、
幅約3mの全蓋式木造ガラス張りのアーケードであり、
通りの両側には2階建ての棟割長屋が並び、
かつては竹瓦温泉の入湯客向けの土産物店や飲食店、
地元住民向けの商店が軒を連ね、にぎわっていた。
大正時代、初代別府市長だった神澤又市郎が所有していた土地を、
愛媛県出身で豫州銀行の頭取だった佐々木長治が買い上げ、
1921年(大正10年)12月1日に完成した。
楠港(旧別府港)に着いた観光客が、雨に濡れずに
竹瓦温泉に行けるようにすることが目的であったとされる。
「別府温泉関連遺産」として、2009年(平成21年)2月6日に
近代化産業遺産に認定された。
(Wikipediaより)




湯の町流し/かんちがい
流しのギター2代目はっちゃん・アコーディオンぶんちゃん
別府のネオン街を流し続けて50年、コンビを組んで40年。
流しのはっちゃんぶんちゃんは別府の宝物です。
全国的にも人気のこの名コンビはCDデビューも果たしました。
今では日本最期の流しのコンビと言われており、別府温泉のおもてなしの達人です。
流しギター見習いだった二宮 誠さん(当時:57歳)が夜の路地裏散歩で
2代目はっちゃんを襲名しました。
当日は関係者がたくさん応援に来てくれてにぎやかにお披露目会が開催されました。
2代目はっちゃんのギター演奏と楽しい一発芸が雰囲気を盛り上げてくれます。
(平野資料館HPより)




竹瓦温泉

竹瓦温泉(たけがわらおんせん)は、
大分県別府市元町にある市営の共同温泉である。
現在の建物は1938年(昭和13年)に完成したもので、
2004年(平成16年)6月9日に登録有形文化財に登録され、
2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産に認定されている。
(Wikipediaより)


※もちろん、ゆっくり入らせて頂きました。
地元の方が、観光客の若者に
入湯の注意点を教えてられました。
アットホームな雰囲気で~

1時間ほど経ってしまいました。
雨は相変わらずで~



 波止場神社サンに
お参りして~
扁額
松方 正義(まつかた まさよし、
天保6年2月25日(1835年3月23日) - 大正13年(1924年)7月2日)は、
日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等爵位は贈従一位大勲位公爵。
幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東。
明治期の日本において内閣総理大臣を2度(第4・6代)務めるとともに
大蔵卿、大蔵大臣(初・第2・第3・第4・第6・第8・第11代)を
長期間務めて日本銀行を設立したり、金本位制を確立するなど、
財政通として財政面で業績を残した。
また、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響力を行使した。
独逸学協会名誉会員。日本赤十字社社長。
(Wikipediaより)


※国威宣揚碑

波止場神社(はとばじんじゃ)は、
大分県別府市元町に鎮座する神社。旧社格は無格。
祭神は、大物主命、気長足姫命、倉稲魂命、菅原神、市杵島姫命、三筒男命、事代主命。
七福神に倣って海に関係する神々を7柱集めたとされ、「七社」とも呼ばれる。
祭神の大物主命が金刀比羅宮の祭神であることから、近隣では近年まで「金毘羅様」と呼ばれていた。
また、元西鉄ライオンズの稲尾和久の生家に近いことから「稲尾神社」とも呼ばれた。
(Wikipediaより)

神様仏様稲尾様!

※境内風景

拝殿舎

※脇の路地

流しの2人が見えそうな路地



雨はだんだん強くなり
歩行者は…


※地下道潜って~

別府タワー
ネオンサインは
点いたり消えたり~



一文字づつ
点灯します~




※満艦飾!
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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