古/いにしえの面影       其の一阡四百四拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年10月29日 日曜日
アップ日  2019年05月15日 水曜日
大分県宇佐市南宇佐(宇佐神宮・下宮)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

台風22号:アジア名サオラー(Saola)と命名された。
25日夜にはフィリピン大気地球物理天文局(PAGASA)によって
フィリピン名ケーダン(Quedan)と命名された。
その後は発達しながら北上、西日本・東日本の太平洋側、奄美地方、沖縄県に大荒れの天気をもたらし、
30日0時に三陸沖(北緯38度、東経144度)で温帯低気圧となった。
30日正午には千島近海で944hPaに達し爆弾低気圧となった。
台風の中心が陸地から離れていたことから、本州・四国では21号のような豪雨にはならなかったが、
宮崎県では記録的な大雨となった。
また、湖西線・阪和線は、30日の午前中まで運休した。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

八幡鳥居

※上宮は国家の神
下宮は民衆の神
皇室と国民…
片参りせぬように~

若宮神社

※亀山神社
上宮が鎮座している小椋山は亀山と言います。
大山積命を祭る神社
遥拝所みたいな感じでしょうか?

亀山の石段居ります。
周りにはイチイガシが多い社叢


 境内の小川渡って~

※見返りながら~

下宮拝殿舎正面

※カシの木でしょうか?
根上りですね。

拝殿舎正面



下宮
拝殿舎と本殿舎脇から~

※本殿舎

拝殿舎内部から~

※アオウミガメなんですって~
冷まし竹…兆竹

楼門

※高倉
前面のみ廊下が付いてます。

八幡鳥居が並んでいます。



祓所

※この燈籠に
灯を燈すのは難しいでしょうね~

紅葉の季節は綺麗でしょうね~

養蚕神社八坂神社

本殿舎には龍

※八坂神社本殿舎脇から~



※下毛村
中津市の一部地区とか~

参道~

※弥勒寺跡
神宮寺だったんですね。

聖跡 一柱騰宮跡碑

※和気の柁鼻神社
もう一度この地区も
自転車でゆっくり巡りたいと~

呉橋

※橋内部

此処を勅使が歩くのでしょうか?

※脇から~

呉橋(くれはし)は、大分県宇佐市南宇佐の宇佐神宮西参道にある屋根付きの木造橋。
日本百名橋の一つ。
宇佐神宮の神域を画す寄藻川(よりもがわ)に架かる屋根付きで朱塗りの優美な橋である。
この橋が位置する西参道は、昭和初期までは表参道であり、
朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため勅使街道とも呼ばれていた。
現在の橋は1622年(元和8年)に細川忠利によって修築されたもので、
1876年(明治9年)と1951年(昭和26年)に大改修されている。
上部は木造で、3基ある橋脚は石造。屋根は向唐破風造で桧皮葺(棟は銅瓦葺)である。
現在は渡ることはできず、10年に一度の勅使祭の時にのみ使用される。
2015年10月6日に「臨時奉幣祭(勅祭)」が行われている。
平時は、1951年(昭和26年)の改修の際に隣に架けられた鉄筋コンクリート橋を利用する。
創建年代は不詳であるが、鎌倉時代より前に存在していたといわれる。
中国の呉の人が架けたと伝えられ、これが橋の名の由来となっている。
1301年(正安3年)には勅使として宇佐神宮を訪れた和気篤成が
「影見れば 月も南に 寄藻川 くるるに橋を 渡る宮人」という歌を詠んでいることから、
この頃にはすでに呉橋があったことを確認できる。
(Wikipediaより)


※対岸より~

江戸期の風景画にも~



鉄鳥居の沓石
奈良時代以来、勅使街道の呉橋前の参道に建てられた鳥居
元文元年(1736)の火事で木製鳥居が焼失し
寛保三年(1743)に江戸住人藤木平左衛門によって鉄鳥居が寄進された。
多くの参拝者に親しまれたが、戦時中の金属類回収令により供出され、
今は 沓石のみが往時の歴史を伝えている。


※戦争反対!

現在の呉橋
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.