古/いにしえの面影       其の一阡四百五拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2019年05月05日 土曜日
アップ日  2019年05月27日 月曜日
滋賀県栗東市荒張(狛坂磨崖仏)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

行け行け!CCC(チキン・クライム・クラブ)
金勝山中の大津市との境界に近いところに、狛坂寺跡と向かい合うかたちで、
大きな花崗岩の磨崖面に、高肉に三尊仏を刻みだしています。
高さ約6m、幅3.6mの壁面に高さ3メートル、顔幅70cmの
阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍を刻み、
その周囲に12体の仏像が半肉彫りされています。
中央にある阿弥陀如来は、格狭間を表す須弥壇(しゅみだん)の
中央に宣字座に坐して、両脇侍の観音・勢至は蓮華座上に立っています。
阿弥陀如来像は、螺紙(らほつ)を刻まず、右肩を露出した納衣(のうえ)をまとい、
衣端を懸裳風に垂らして、右足を外にして両足を交叉させて坐し、
印相は転法輪印に近いが判然とせず、両脇侍に標識が認められず尊名は確認できません。
脇侍は、左右に大きく張った髻を結び、
顔や腰を中尊側にひねって、統一的な三尊像を構成しています。
(滋賀県観光情報HPより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

金勝山ハイキングコース

※コールポイント

横ヶ峯展望所
(馬頭観音堂前駐車場)

※此処から
尾根沿いを~

龍王山山頂
三角点

※604.6m
見晴らしは無し~
 

金勝寺八大龍王本殿

※ハイキングコースからは
琵琶湖も~

茶沸観音様

※光背も~
光背 後光とも呼ばれる。仏教美術における光背は、
インド仏教では頭部の背後にある頭光(ずこう)に始まり、
その後体全体を覆う挙身光(きょうしんこう)が生まれた。
仏教が東伝するにつれて、頭と身体のそれぞれに光背を表す二重円光があらわれ、
中国仏教や日本仏教において様々な形状が発達した。
日本では胴体部の背後の光背を身光(しんこう)と呼んでいる。
(Wikipediaより)


南に目を向けると
山の向こうに~

ミホミュージアムが~

西は~
琵琶湖、近江大橋
脇にびわ湖大津プリンスホテル
その向こうに大文字山比叡山

※岩山の向こうに
鶏冠山(490.8m)



製作年代は明らかではありませんが、このすぐ下に弘仁7年(816)頃、
金勝寺の奥の院として、金勝寺を建立した願安によって創建された狛坂寺の跡があり、
寺の全盛期の平安から鎌倉時代に彫られたのではないかと言う説がありますが、
奈良時代後期と言う説もあり、はっきりとはわかっていません。
この磨崖仏は、中尊の大らかで、下ぶくれとなる顔に大ぶりの眼鼻立ちを刻み、
非常に写実的で両肩を張った作風は、統一新羅彫刻の影響を認めることができ、
昔、大陸から渡ってきた金勝族が、この付近に住みつき、
中国の大同にある雲崗の石窟寺院と同じ姿の石仏を
ここに伝えたのではないかと言われています。
(滋賀県観光情報HPより)



 
花崗岩は細かい彫刻は難しいと
思ってましたが~

※大変な労力が~
信仰の力は…
前には
 
細かい仏様の表情も~

※滑らかな衣装の流れも~
 
左脇の小さな岩にも
磨崖仏も~



 磨崖仏の脇には~

※多宝塔も~

 方状多宝塔



 狛坂寺跡


 
石垣が
往時を思わせます。

※廃仏毀釈の悲しい現実ですね。

国見岩

※下は新名神高速
金勝山トンネル(3.8km)

重岩



大津市街も~



天狗岩

※向こうに三上山(432m)も~

耳岩



奇岩が~



今度は~

※栗東トレーニングセンターも~

遠く比良山地も~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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