古/いにしえの面影       其の一阡四百五拾五
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2010年11月27日 土曜日
アップ日  2019年05月27日 月曜日
和歌山県田辺市本宮町本宮(熊野本宮大社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

行け行け!CCC(チキン・クライム・クラブ)
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。
熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、
熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)
を主祭神とする。1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として
国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで
社地は熊野川の中州にあった。
明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、
大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、
日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。
「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、
菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で
熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

UPを忘れてました~
今回、熊野街道を怪しい親爺で
LINKしようとして発覚しました。
で、UPします。
前は

※瀞峡観光ウォータージェット船
「瀞八丁」と呼ばれる、約31kmにもおよぶ吉野熊野国立公園の大渓谷をめぐる遊覧船。
時速約40kmで進むウォータージェット船で熊野川をしばらく航行し、
瀞峡に到着すると屋根が開き、両岸にそびえる断崖奇岩を間近に見ることができます。
瀞峡では約20分間下船し、四季折々の渓谷美を満喫。
往復約2時間のクルージングをお楽しみください。
(新宮市観光協会HPより)


上流の瀞八丁(どろはっちょう)は、
前に

※洞門

熊野本宮大社

※扁額

参道~

※功霊社

手水舎

※桧皮は大事に!

全国3831社の総本宮~
福島・千葉・愛知・熊本が
特に多いんですね。



屋根(桧皮)の修復が
費用が嵩むのですね。

※檜皮葺の神門

館幣大社熊野坐神社碑



此処から先は
撮影禁止とか~

※門外から~
結宮

綺麗な檜皮葺
本宮社は修復中~

※若宮

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話において
神武東征(じんむとうせい)の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)に
よって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から
大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)。
一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、
導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、
八咫烏は熊野大神(素戔嗚尊)に仕える存在として信仰されており、
熊野のシンボルともされる。


※百度石

近世以前によく起請文として使われていた熊野の
牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
鎌倉時代後期ごろから、起請文は各地の社寺で頒布される
牛王宝印(ごおうほういん。牛玉宝印とも書く)という護符の裏に書くのが通例となった。
ここから、起請文を書くことを「宝印を翻す」ともいう。
特に熊野三山の牛王宝印(熊野牛王符)がよく用いられ、
熊野の牛王宝印に書いた起請文の約束を破ると熊野の神使であるカラスが
三羽死に地獄に堕ちると信じられ熊野誓紙と言われた。
戦国時代には各地に戦国大名などの地域権力が出現し、
戦国大名の成長に伴い大名領国同士は国境を接し、軍事同盟の締結や合戦など
大名同士の外交関係が顕著になり、軍事同盟の締結や合戦の和睦に際しては
双方の信頼を確認するため双方で起請文を交わした。
(Wikipediaより)

※奉納釣燈籠

「蟻の熊野詣」という言葉があります。
熊野詣する人が蟻の行列のように続いたということですが、
古くは「蟻の熊野参り」というのが一般的でした。
「蟻の熊野参り」という言葉が文献上初めて登場するのは、
1603年(慶長8年)にイエズス会が刊行した『日葡辞書』。
「Ari」の項に次のようにあるそうです。
Arino cumano mairi fodo tcuzzuitayo.
蟻の熊野参りほど続いたよ。
近世初頭、「蟻の熊野参り」は、蟻ほどたくさんいるという意味の諺となっていました。
(コトバンクより)




本州静岡以西~九州、中国、四国に分布する。関東にも植樹されていることがある。
中華人民共和国にも自生する。
雌雄異株で、花期は4~5月頃、4mmほどの小さな淡黄緑色の花が群れて咲く。
秋には8mmほどの小さな球形の赤い実がなる。
葉は肉厚で20センチほどもある長楕円形をしており、
その縁は鋸のように細かいきざぎざとなっている。
日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたため、
その多くは寺社に植樹されている。
また、葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、
東京中央郵便局の前などにも植樹されている。
文字を書くことのできる性質がインドで経文を書くのに使われた貝葉の原料である
ヤシ科のタラジュ(多羅樹、Corypha utan)という木のようだということで、
タラヨウ(多羅葉)名前の由来となっている。
(Wikipediaより)




八咫ポスト



八咫烏幟



大日山

※紅葉が綺麗~






※脇の参道


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.