古/いにしえの面影       其の一阡四百五拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2018年01月05日 金曜日
アップ日  2019年05月28日 火曜日
兵庫県西宮市名塩(名塩八幡神社)Ⅱ
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

緒方 洪庵(おがた こうあん、
文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日))は、
江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。
大坂に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。
天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。
諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、
号を洪庵の他に適々斎・華陰と称する。
妻の八重は、夫との間に7男6女(うち4人は早世)を儲け、
育児にいそしむ一方で洪庵を蔭から支えた良妻であった。
洪庵の事業のため実家からの仕送りを工面したり、
若く血気のはやる塾生たちの面倒を嫌がらずに見たりして、
多くの人々から慕われた。福沢は「私のお母っさんのような人」
「非常に豪い御方であった。」と回想し、佐野常民は、
若き日にうけた恩義が忘れられず八重の墓碑銘を書いている。
洪庵の死後は彼の肖像画を毎日拝み遺児の養育に力を尽くした。
八重の葬儀には、門下生から政府関係者、業者など朝野の名士や一般人が2000人ほど参列し、
葬列は先頭が日本橋に差し掛かっても、彼女の棺は、
2.5km離れた北浜の自宅から出ていなかったという。
八重の甥に紙幣製造に貢献した化学者の岸本一郎(1849-1878)がいる。
岸本は緒方宅で育ち、幕府派遣の英国留学生に選抜され、
日本の最初期の化学留学生としてロンドンで学んだ。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

細い階段路地は
自転車には向いていません。



名塩展望公園

※バスも遠く~

民家が密集しています~
栄えたんですね。

※遠く山の上には
新興住宅地

柿の実

※ホントですね~

下の段にて~

※石段も綺麗に~

急坂は見慣れてますか~

名塩川

※教行寺さんの鐘楼は
此の地のランドマークですね。

水清く

※蘭学通り
鴨谷橋




山に続く路地



立派な石垣

※階段参道

鳥居

※扁額

鳥居脇の狛犬


※吽

なにわ型

※手水舎


手水鉢



立て砂では無く
松が活けられて~
前には



見返って~



参道階段

※登り切って見返って~

拝殿舎正面
此処にも松

※拝殿舎前狛犬

本殿舎
3柱祀られています。

※檜皮葺
社殿

小さな狛犬は
真中の燈籠向いて~



本殿舎前狛犬
台座は丸型


※吽

伊勢神宮
遥拝所

※御神木


地神

※R176BP

百度石

※薪

見晴らしは~
Kさん如何でしょうか?



扁額はこんな感じで
設置されているんですね。

※参道なんですね。

蘭学通りにも狛犬


※吽

大阪

※紙商銘
紙問屋が奉納したんですね。

名産組



明治21年銘

※蘭学通り

鴨谷橋

※キョロキョロしながら~

名塩川
上流

※下流

水辺の景色



石垣綺麗に~






水辺の景色

※路地風景

JA名塩支店

※八重さんの
実家跡ですと~

八重さんの胸像
蘭学の泉 ここに沸き出ず

階段登って
気に成る場所へ~

※トタン被せ家屋も~

登り切ったら~
参道階段

※地蔵堂

子安地蔵尊



内部は~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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