地名
下伊勢
※交差点に
石碑
姫路市長15代:吉田豊信(1967年~1983年)
龍野市長5代-7代:横尾 橘治(1966年~1978年)
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岩谷源治君彰功碑
前に~
※内閣総理大臣
田中角栄 謹書
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脇の地蔵尊
※姫路市(ひめじし)は、近畿地方西部、
兵庫県の南西部(播磨地方)に位置する市。
中核市および国際会議観光都市に指定されている。
周辺自治体を含めて約74万人の姫路都市圏を形成する。
中播磨県民センターの管轄。
奈良時代、播磨国の国府が置かれた。
本町遺跡が国衙跡であると推定されている。
江戸時代には「西国将軍」「姫路宰相」と呼ばれた池田輝政によって
姫路藩が成立し、姫路はその城下町として整備された。
現在の市街地にも城下町の町割りが残る。
明治維新における廃藩置県の時期には、飾磨県の県庁所在地となった。
しかし、1876年8月に飾磨県が兵庫県に編入されて以降は兵庫県に属している。
1946年(昭和21年) 飾磨市など周囲7市町村を合併。
以後6度にわたって市域拡大。
1996年(平成8年)4月1日 中核市に指定される。
(Wikipediaより)
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並びに梛神社入口
※多くの玉垣
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扁額
※現地の説明版
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玉垣は達筆です~
元原稿作者が巧いのか?
石工が巧いのか?
※
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奉納物でも無断持ち込み禁止
これまた達筆ですね。
※自然石使用の燈籠
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参道燈籠二体~
※
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彫もシャープですね。
※明治期の物です。
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参道風景
※神木 梛の木
樹齢95年
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梛の葉
※参道見返って~
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手水鉢
※瓢箪型ですね。
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一段高くなった社殿
※社殿前の石燈籠
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拝殿舎風景
※覆い屋内の
本殿舎正面は見えない。
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人皇第11代垂仁天皇26年丁巳10月、
伊勢村の西南七五三嶽(しめがたけ)より東北隅、
窟山にいたり十二旗が降った時、
今の社地に梛の大木が八丁四方(約900平方メートル)繁茂しており、
その一旗が此樹の枝にかかり、天照大神が現れになった。
このことを時の縣主が天皇に奉聞し、石碑を建立した。
18世の後胤、飯粒に至って良田40町を安閑天皇に献じ、
勅を奉じ、十二流を讃えて天神七代、地神五代の十二神を奉崇し、
梛の大木を切り、その後に天照大神を祀ったとされている古社である。
※大正期の寄付金
1円は約5000円位とか~
350万円位!
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拝殿舎内に絵馬がいっぱい!
明和期の絵馬
神功皇后?
※稲光に
疾走する武者絵
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昭和12年
伊勢参宮記念
楠木正成親子
桜井の別れ
※昭和17年
伊勢参宮記念
神功皇后?
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明治35年
花畑氏の名が~
玉垣銘と同じ
※
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昭和15年
神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は
日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)。
諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野[2](さぬ)。
『日本書紀』での名は神日本磐余彦天皇。
『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、
日向から大和国への東征を行い畝傍橿原宮(現在の奈良県)に
都して日本を建国したとされる伝説上の人物。
(Wikipediaより)
※手水鉢
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境内には今も受け継がれた梛の樹が茂っており、
拝殿前には珍しい伊部焼の狛犬一対も備わり…
(兵庫県神社庁HPより)
現地説明板では備前焼…
伊部焼(インベヤキ)
岡山県伊部地方産の陶器で、備前焼の代表。
水簸すいひした細かい土を用いた、黒褐色の薄手の焼き物。
また、備前焼の称。
(コトバンクより)
なるほど~
阿
※吽
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横から~
前には~
01 02
阿
※吽
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拝殿舎前の狛犬
阿
※吽
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なにわ型でしょうか?
※百度石
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本殿舎も少し~
※境内摂社
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