古/いにしえの面影       其の一阡四百九拾一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2018年09月12日 水曜日
アップ日  2020年06月30日 水曜日
京都府舞鶴市字森
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

1943年(昭和18年)になり、いよいよ戦局が激化すると、
舞鶴鎮守府は日本海軍の重要拠点として強化される事となり、
東舞鶴市(東舞鶴地区)だけではなく、旧舞鶴市(西舞鶴地区)にも
海軍諸施設が多数立地するようになった。
また舞鶴海軍工廠では艦船を中心に蛟龍などの特殊兵器も生産するなど
軍需生産拠点としても機能強化が図られ、
両市が一体となって大軍港都を建設することを海軍が強く要請。
旧舞鶴市側は難色を示すが、市役所の位置など諸条件を提示、東舞鶴市も了承したことから、
「時局ノ要請二応ジ大軍港都市建設ノ為」すべて京都府知事に一任し、
舞鶴市海軍記念日にあたる同年5月27日に東西舞鶴両市は合併した。
市役所は東舞鶴市中舞鶴支所に置かれることとなり、人口は15万人を超え、
日本海側有数の大都市として重要な地位を占めるに至った。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

道標と地蔵堂
真ん中には観世音碑

※三体の地蔵尊
合祀されているんでしょうね。

文政期の道標
ひだりまつお

※右 田辺道
西舞鶴へ続く道筋

飾り瓦は戎様

※煙抜き付家屋

夏場の蛍は?

※奇麗な水です。

海鼠壁の土蔵

※向うは大森神社サン

菊の飾瓦が~

※波に菊

剣片喰ですが~
土蔵



サイディングの下は
茅葺でしょうか?



大きな家屋









御堂



内部には~
地蔵堂と思えば…

※お不動様?

脇に多宝塔と地蔵尊が
まとめられて~

※先へ~

ここにも御堂が~

※内部には
天部でしょうか?
天部(てんぶ、サンスクリット देव, deva, देवता, devatā)は、
仏教において天界に住む者の総称。天、
諸天部、天部神ともいう。
インドの古来の神が仏教に取り入れられて護法神となったものである。
梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、
竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、
二十八部衆などの天部が存在し、貴顕天部と武人天部に二分される。
仏教の尊像においては、如来、菩薩、明王、天という4区分の4番目にあたる。
(Wikipediaより)


新生大舞鶴市記念

※昭和18年銘

脇の地蔵尊

※土蔵

竹家紋




※鬼瓦~

鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、
背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。
また、それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種である。
一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている。
大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。
建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという。
本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを
織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したことで普及したといわれている。
現在でも陶器製やセメント製のものなどが
一般の住宅や寺院などで使用されることがある。
(Wikipediaより)




真新しい地蔵堂
後ろは大森神社参道森
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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