古/いにしえの面影       其の一阡四百参拾一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2019年03月10日 土曜日
アップ日  2019年05月08日 水曜日
兵庫県姫路市的形町福泊(小赤壁・八家地蔵)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
小赤壁(しょうせきへき)は、兵庫県姫路市木場の瀬戸内海木場港から
海岸沿いに燈籠地山・姫御前山を経て東へ連なる高さ50m、長さ約1kmの絶壁。
流紋岩からなる景勝地として、小赤壁公園になっている。
1979年(昭和54年)、ノジギクや桜の名所として知られる木庭山を含めた磯周辺と共に、
姫路市の緑の十景のひとつに制定された。
「小赤壁」の名は、1825年に頼山陽がこの地に訪れた際、月夜に船を浮かべ風光を楽しんだ。
その際に中国の赤壁に似ているとして命名したことによる。
(Wikipediaより)。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

R250より海岸目指して~

※的形小学校前

的形村道路元標



水路が多い地区です~

※木造家屋
元医院でしょうか?

福泊海浜公園海水浴場目指して~



福泊キャンプ場はH30年で廃止とか~

※沖には家島諸島ですね。
近くは前に

東方向~

※高砂火力発電所の煙突も~

気を取り直して~

※小赤壁対岸へ~

福泊漁港
廃船風景
寂しいなぁ~

※姫路市立公園遊漁センター横に~

大阪市南区心斎橋通八幡町
島之内ですね。

※加古郡平岡村中野

緑の十景

※不動尊

多くの地蔵様が合祀されてます。



地蔵堂

※八家地蔵(やかじぞう)は、兵庫県姫路市的形町福泊にある
鎌倉時代建立の地蔵(地蔵菩薩半跏像)。
景勝地である小赤壁東の海岸近くにある鎌倉時代に彫られた地蔵菩薩半跏像である。
元来は航海安全の為の地蔵として祀られたらしいが、
いつからか子授け地蔵として信仰を集めるようになり、遠方からの参拝者も多い。
地元では子供の地蔵様ということで「地蔵様のとこの石を持って帰り、
子供ができたら二つにして返す」といわれている。
江戸時代に書かれた「播磨名所巡覧図絵」にも記載がある。
現在はお堂に祀られるが、江戸時代までは吹きさらしであったらしい。
石造の地蔵菩薩像としてはかなり大きい部類に入り、台座、光背を含めると210cmある。
光背は編笠状となっており、本体とは一体であり、一つの石から彫出されたもの。
蓮台は異なる石から造られ、左足踏み下げとなり、右手に錫杖、左手には宝珠を持つ。
やや面長のふくよかな顔面で、大きな白毫を持ち、目、鼻は造りが大きく
温和な表情を見せ、堂々とした体躯で、全体に平安時代の作風を思わせる地蔵菩薩である。
(Wikipediaより)


奈良時代に漁師が沖合いへ漁に出た際、海上に大亀が浮かび上がり、
その背中には地蔵が乗っていた。
漁師は亀を岸まで連れてかえると、地蔵を海中の島に安置した。
偶然に巡幸していた行基が通りかかったため、地蔵の開眼を依頼した。
以上が八家の地蔵の伝説だが、隣の高砂市には
仏像が海から引き上げられたという伝説が幾つか残されている。
(Wikipediaより)


※多くの仏像も~

地元の方に大切に
祀られています。

※盆踊りも有るんでしょうか?

乾元元年
安東蓮性築く福泊嶋跡刻
安東 蓮聖(あんどう れんしょう)は、鎌倉時代中期から末期にかけての武士。
北条氏得宗家被官である御内人。蓮聖は律僧としての法名で蓮性と表記することもある。
安東平右衛門入道と呼ばれたことから平姓と考えられている。
本貫地については諸説あり、駿河国北安東荘(静岡県静岡市)、
陸奥国津軽十三湊(青森県五所川原市)、豊後国佐賀郷(大分県大分市)などが候補として挙げられている。
摂津国、和泉国を中心とした瀬戸内海沿岸一帯に所領をもち、主に西国の得宗領の管理や海運、金融に携わった。
御内人が有徳人化した代表的な例とされている。
北条時頼の被官として、弘長2年(1262年)に西大寺叡尊への使者となり、
翌3年(1263年)には信濃国善光寺に時頼が不断経衆の免田を寄附した際の沙汰をしている。
一方で文永年間には京で山門の僧と結び借上を営んでおり、
文永8年(1271年)には幕府の禁制を犯し近江国堅田浦で仁和寺の年貢運上船を差し押さえ、
醍醐寺領越中国石黒荘山田郷の雑掌から訴えられるなど御内人でありながら悪党の側面も持っている。
文永10年(1273年)摂津多田院造営の惣奉行に就く。
建治 3年(1277年)には和泉久米田寺の別当職を買得、所領を寄進し律宗の寺として再興、
弘安5年(1282年)には叡尊を請じ堂供養を催行した。
弘安7年(1284年)守護北条兼時の下、摂津守護代に就任。
乾元元年(1302年)には数百貫の私財を投じて播磨国福泊港を修築している。
嘉暦4年(1329年)、京五条の私邸で91歳で死去した。
久米田寺に伝わっている「絹本著色安東蓮聖像」は国の重要文化財に指定されている。
(Wikipediaより)


※養泉寺銘

ニャンコとねずみと熊さん!



魚釣り公園

※向こうに火力発電所煙突

小赤壁全景

※沖には工業地帯の埋立地

福泊漁港
イカナゴ用の網ですかね?


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.