古/いにしえの面影       其の一阡四百五拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2018年02月19日 月曜日
アップ日  2019年05月29日 水曜日
岐阜県美濃加茂市太田本町(中仙道太田宿)Ⅱ
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、
日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。
中仙道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。
もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、
山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。
そこからは京までの区間を共有する。
また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。
太田宿(おおたじゅく)は中仙道51番目の宿場。
美濃国加茂郡太田村(現・岐阜県美濃加茂市)に存在した。
太田の渡しは、中仙道の難所の1つであった。現在も宿場町の面影を残している。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

色は違えど~



更地もチラホラ~

※袖壁付も~

大小は有りますが~

※川傍なので
玄関は一段高く…

左 西 京・伊勢
上有知


※名古屋市
伊藤満蔵さん!
前には~
01 02

街道は此処で
クランク状に向きを変えます。

※高札場跡と郡上街道追分

西福寺さん

※石燈籠竿?
(金比)羅大権現?


庭に唐臼



此処も桝形なんですね。

※川沿いに、
もう一度曲がります。

幅の狭い尺の長い川舟

※綺麗に保存しませんか?

 虚空蔵堂
石燈籠も~

※承久の乱 古戦場跡
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、
鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の
北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。
承久の変、承久合戦ともいう。
日本史上初の朝廷と武家政権の間で起きた武力による争いであり、
朝廷側の敗北で後鳥羽上皇は隠岐に配流され、
以後、鎌倉幕府では北条氏による執権政治が100年以上続いた。
北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。
1185年に鎌倉幕府が成立して以降、東日本を勢力下におく鎌倉幕府と、
西日本を勢力下におく朝廷による2頭政治が続いていた。
その間、幕府の初代将軍の源頼朝が落馬で死亡、2代将軍の頼家と
3代将軍の実朝が次々と暗殺され、天皇家の血を引く源氏将軍が鎌倉から滅亡した。
その1219年以降、鎌倉は将軍の代理人である執権の北条氏が実権を握り、
幕府を実質的に手中に収めるに至ったため、日本を統治するのは朝廷であり、
朝廷主導の政治が本来の姿とする朝廷側の怒りが高まっていった。
この2年後に起きた承久の乱の結果、鎌倉幕府主導の政治体制が固まり、
朝廷を監視する六波羅探題を京都に置き、朝廷の権力は制限され、
皇位継承等にも影響力を持つようになっていった。
(Wikipediaより)


安永期の石燈籠と
国旗掲揚台
安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。
1772年から1781年までの期間を指す。
この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。
(Wikipediaより)

※道標~
是より左 京道


稲荷大明神碑

※太田宿湊廻(舟中?)

重軽地蔵
前には~
01 02 03

※読めません~

長良の流れ~
京都は遠く~

※今はR41が~

付近はこんな感じ~

※左の椋の木は
坪内逍遥縁の~
61才で、こんな御爺ちゃん…

此の木を想い
シェークスピアを~

※丸石のモニュメント?
何でしょうか?

こんな景色を
逍遥も見たんでしょうか?

※丸石に
丸型建設省杭

丸石垣

前には

ポンプ

土蔵の基礎も丸石

※太田第一保育園

髭題目

※日蓮宗
太田教会~

尾張藩太田代官所跡

※今は学び舎!

庚申堂

※天下泰平
ポットとドーナツ??

本陣方向に戻って~






前に

※卯建も~

夕陽に~

※屋根瓦は~

御代桜醸造(株)さん~
明治二十六年の創業以来、百有余年…
中山道五十一次の太田宿は、飛騨、木曽両川の
合流点直下の木曽川畔に位置し、
中山道の三大難所「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と
馬子唄にもある急流・太田の渡しのあった宿場で、
現在も太田宿の面影を色濃く残す一角に、御代桜醸造はあります。
中山道御料林のいかだ乗りや街道を行き交う数多くの人々に
『天の美禄、百薬の長』として愛され親しまれてきた清酒、御代櫻。
「加茂神社の東南の泉田という所に清冽な清水が湧き出ていた」、
「大化の改新より前、鴨の里の県主の一族が水取りの伴に選ばれて、
大和朝廷に水を奉っていた」という古伝の史実もみられるなど、
水の清冽な岐阜美濃加茂は、酒造に絶好な気候風土を具備した適地といえるでしょう。
(御代桜醸造(株)HPより)


※造り酒屋の渡廊下
前に


土蔵にも
永年の歴史が~

※此処にも稲荷社が~


見返って~



パンダワンカップも
分けて頂きました!

※多くの御札

 懐かしい風が吹いてました~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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